建築士!伊織「初期キリスト教建築」

こんばんは!

 

伊織です。ブログ更新遅れました。

 

転職先の仕事が忙しくなってきました。いいことなのですが最近人手不足であることを皆認識しています。

沢山の案件を営業担当が取れてきています。全部フォローしたいのですが全部のフォローが出来ません。せめてアドバイスをしてあげたいといつも思っています。

そこには頑張る営業さんもいますが、その先のお客様のためにも対応していきたいと考えています。

設計担当も工事担当もそしてアフター担当も実際人手不足です。どなたか社員になって頂ける人はいませんか…状態です(><)特に設計担当です。そして接客のできる人がほしいですね。

 

話変わりますが、転職をして少し社会が見えてきました。以前の会社は社員も多くいわゆる大企業というもので、仕事量も多く何でも自分でやることが多く、ある意味いろいろな仕事が身に付いた会社でした。転職してから退職した会社の人と話すことがありましたが、違うのですね。相手の人は大企業。伊織は中小です。大企業の人はプライドもあるのか自分達が社会的にも上で、伊織はその会社を退職した小さな会社のひとりとしている感じでした。

伊織から見れば会社のブランド力の中での一歯車で個人の力ではないただの人でした。お互いに立ち位置が違うから見え方が違うのでしょうが、どこで何をしていても平等な目線で対等な話の出来る人間でありたいと思いました。ブランド力では無く自分の力で人に役立つ人…伊織の場合は建築士になりたいと心に誓うのでした。

 

 

建築士!伊織「初期キリスト教建築」

 

「中世キリスト教系列」

 

313年、ローマ帝国キリスト教が公認されます。それに伴いキリスト教会堂が、公に建設されるようになります。しかしあくまでローマ建築の延長線上のものでした。

教会堂の主な特徴として

1:バシリカ式 東西に長い平面を持ち、内部は中央の身廊と呼ばれる列柱で囲まれた領域

        と、その両側に列柱で廊下状に領域づけられた空間を持つ建築。

2:集中堂式  円や多角形などの求心的な平面を持った建築。

いずれも天井は木造で梁などの構造が露出しているような小屋組を持つなどの特徴があります。

 

キリスト教ローマ帝国で公認されたというのも面白いですね。公認される前は民がどういったものを信じていたのか。そして段々キリスト教信者が増えていき帝国としてキリスト教を認めれば民を纏めやすかったのか。それとももっと素直にキリスト教はいいと帝国の憲法的存在としたのか。本当のところは分かりませんが建築から考えていくと皆が信じる宗教が建築という表現をしたらこういう空間になったというところでしょうか。

 

次回「ロマネスク建築」

 

宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

デジタルカメラマガジン2017年12月号

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